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現在、求道中の方々も同感されると思いますが、私も教会に歩みを始め数年過ぎた頃、いざ洗礼を如何すべきか疑いが生じ、未だ充分に聖書を解釈することが難しく、クリスチャンになるにはとても程遠いと考え躊躇しました。それでは旧新66巻全書を理解した後となれば現世のいのちは消失し、空しい人生を侮いるのみ、あれこれ思案し祈りつつ聖句を追い求めました。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになった,」ヨハネ1:15。何の勲しやない小塵に等しき愚者をも神の子として愛して下さることを信じて、今日まで全てを主に委ねる幸いな日々を心より感謝。 (N.M)